アーティスティックな福岡 住宅情報
テレビの一画面、六〇分の一秒間のフィールド画像に何回オーバーレイできるかが、ゲームのグラフィックスのポイントであり、ナムコは前回の会合の後、検討を繰り返したことをうかがわせる質問だった。
Kは答えた。
「もちろん、二回以上オーバーレイできます」「デカキャラが動く能力が欲しい」とも、言ってきた。
ファミコンは八×八画素のキャラクター、スーパーファミコンは一六×一六だが、もっともっと大きなキャラクターが、使いたいという要望である。
実はナムコの方も、ちょうど、業務用の自社開発の次世代三次元CG技術、システム詑の実用時期で、システム泣を使用した『リッジレーサー』という新しいレ-シングゲ-ムを開発していた(後に、これがプレイステーションに移植され、プレイステーションの初回リリースの立ち上げに大貢献するのだ)。
「ナムコが参加する可能性として、PS|Xの技術がアーケードゲ-ム用にも展開できるのなら、我々として開発の二重投資が避けられ、コスト、ダウンにもなるはずですね」。
こう言ったのは、ナムコの技術の総帥、中村繁一専務だ。
カプコンの『ストリートフアイタ-』はアーケードゲ-ムでまず先に開発されていたから、容易にスーパーファミコンに移植することができたという先例がある。
中村専務はそこに目をつけたのである。
「システム詑以外は全部やめてでも、PS|Xをアーケードゲ-ムに使いたいぐらいだ。
でも、これをやるには組識変更が必要だな」。
ナムコがプレイステーション技術に目をつけたのには特有の事情があった。
ナムコは八五年から三次元CGの開発に取り組んでいた。
「業務用マーケットでの差別化が目的でした。
二次元映像に比べ表現力が画期的に拡大するからです。
しかし、当時の技術としてはかなり困難でした。
経験者もいないから、みんなで勉強しながら、研究を始めました」(中村専務)。
当時、三次元CGといったら、かフライト・シミュレータ-uぐらいしかない時代。
その技術をそのままアーケードに入れると数千万円にもなってしまう。
アーケード業界初の三次元CG製品が、『ウイニングラン』(八九年)だった。
しかし営業的には、大きな成績を上げられなかった。
一〇〇万円程度の販売価格だったから、技術的にできることには自ずと限界があり、技術自体も当時はまだまだ稚拙だった。
ポリゴンは一秒間で六万個程度しか描画できず、しかも単色でしか塗りつぶせない。
計算能力の不足から、動きもバラバラ。
当時の完成度の高い二次元映像にはとうてい太万打ちできなかった。
しかしその後は、使いこなしが徐々に上手くなり、着実に実力を上げていった。
九一年バージョンのウイニングランでは、ポリゴン数は同じであったが、スピードが格段に速くなっていた。
しかし、そのナムコにしても衝撃だったのが、セガの『パ-チャフアイタ-』だ。
業務用機マーケットでの宿命のライバルであるセガが、パ-チャフアイタ-で、剖目の3D格闘ゲ-ムを開発したのである。
来世紀にならなければ実用化されないと言われていた三次元CGの新しいジャンルが、業務用ゲ-ムソフトの分野で華麗に登場したのだ。
「これは絶対に、ウチでもやらなければと思いました。
そのためには、プレイステーションをベースにした業務用機だったら、勝算がある、と」(中村専務)。
ここでもパ-チャフアイターが、プレイステーション参加へのドライピング・フォ-スとなったのた業務用機のビジネスには二つのやり方があり、キャピ、不ツト、モニタ、基板回路の一式セットで一00万円以上する大型ゲ-ム機と、基板だけ流通させる小型ゲ-ム機だ。
当時のナムコの得意分野は、三次元CG技術を使った大型ゲ-ム機の分野だった。
しかし、小型ゲーム機の分野においては、カプコンの『ストリートフアイタ-』をはじめとする優秀な格闘ゲ-ムに押され、低迷していた。
小型ゲーム機の分野でも名声を高めたい…。
そう考えたナムコは、得意の三次元CGを引っさげてなぐり込みをかける機会をうかがっていたのだ。
そこにパ-チャフアイターが登場した。
大型機のビジネスモデルで大成功を収めるのを目の当たりにした。
ナムコ社内ではシステム辺を用いた格闘ゲ-ムの企画案が持ち上がったが、「大型ゲ-ム機用に開発したシステム泣を用いたのでは、セガの後追いとなってしまう。
三次元CGを使った格闘ゲームの経験もない。
開発が終わるまでには、セガは改良を重ねたパ-チヤフアイタ-の新型を投入してくるだろう」。
社内では直接的な競合は不利との判断もあった。
しかし、「小型ゲ-ム機分野でナムコ・ブランドを確立したい。
しかも、パ-チャフアイタ!と競合する三次元格闘ゲ-ムではなく、コスト的に小型市場に受け入れられる三次元格闘ゲ-ムを作りたい」そんな思いをあれこれ巡らせていた時に、出現したのがPS|Xなのであった。
だから、「プレイステーション技術だったら、使える」(中村専務)と思ったのである。
このプレイステーション技術を活用したアーケードゲ-ム『鉄拳』は、家庭用のプレイステーションが登場した直後の九四年二一月一五日にリリースされている。
宿敵への狼煙さらに、らう一つ、ナムコにプレイステーションへの参入を決断させた理由があった。
「ソニーの提案と、タイミングが合ったんです。
ちょうど、任天堂のサ-ドパーティとして限界を感じていた時期でしたから」と、中村専務は明かす。
ソニーがナムコを求めていた、ちょうどその時、ナムコも新しいプラットフォームを探していた。
お互いに、潜在的に相手を欲していたのである。
ナムコはかつて、家庭用ハ-ド機器に進出しようと、真剣に検討したことがあった。
しかし、ビジネスプランが成り立たないということで、諦めていた。
当時の試算では、Lsーだけでも一万円以上もした。
ハードは損してもソフトで儲けるために、売価は一万五〇〇〇円に抑える。
これ砂二年半程度で三〇〇万台以上売らなければならない。
このスケールで売れなければそのプラットフォームは、失敗である。
ということは最長一年半分の在庫を用意しなければならない。
三〇〇万台分の在庫ということは、四〇〇億円が寝ることを前提とした資金繰りが必要となる。
それはとても無理だ…。
こうした理由から、諦めざるを得なかった。
「業務用機で培ったノウハウを活かして、家庭用で三次元ゲームをやりたい。
しかし、スーパーファミコンではそれは不可能。
しかも自社製ハ-ドはない。
ならば可能なフォーマットに乗るしかないのです」(中村専務)。
ナムコは、ファミコンが発売された一年後、ウス』等のソフトを擁して市場に参入した。
当初はファミコンのサ-ドパーティ内でも、とりわけ優遇され、任天堂から「最恵国待遇」の扱いを受けていた。
ロイヤリティも他とは差がついていた。
ところが初回の契約から五年経った時に、いきなり「一般国待遇」に落とされた。
ナムコにとっては、スーパーファミコンの時代になってから、他のソフトメーカーと同じ条件になり、利幅は非常に少なくなった。
そんな経験をしているものだから「是非とも、ハードを自社で持ちたい」と思うようになるのも当然の成り行きであろう。
しかし、現実には不可能だった。
オンリーワンの福岡市 一戸建ての実態がよく分かります。便利で楽しい福岡市 一戸建てが満載です。
オーダーメイドの福岡市 一戸建ての全てを網羅しています。今始めるなら福岡市 一戸建てです。
正しい健全な福岡市 一戸建てを多彩に取り揃えています。いつもヤル気にさせてくれる福岡市 一戸建てです。
福岡 住宅情報を製作します。基本機能も充実した福岡 住宅情報です。
福岡 住宅情報の利用価値をご存知ですか?もう福岡 住宅情報以外は必要ないでしょう。
福岡 住宅情報は事業がいらないということではなく、福岡 住宅情報の担当者には意欲を持って改善してほしい」と総括した。